パリ音楽院でフランクにオルガンを、マスネに作曲を学ぶ。ピアノ、オルガン、作曲で一等賞をとり、19歳でローマ大賞を得る。後にフランクの後任として聖クロティルド寺院のオルガニストに、1903年からはコンセール・コロンヌの副指揮者、1910年から32年までコロンヌ管弦楽団の指揮者を勤め、名指揮者と謳われた。パリ音楽院に戻り、要職もこなした。ハープ曲は、パリ音楽院のコンクール用に書かれた「即興奇奏曲」と「ハープと管弦楽のための小協奏曲」、「フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープのための自由な変奏とフィナーレ」の3曲がある。