巷間、よく云われるのが、ジャンル分けの弊害。クラシック至上主義。ハープという楽器のハイソなイメージゆえに、クラシックを弾く楽器という先入観がある。一方で、最近はレバーハープの普及やエレクトリック・ハープの発展なども手伝ってか、もっと幅広い分野で活躍できる楽器であるという認識も生まれつつあると思う。しかし、ハープをもっとポピュラーな楽器に・・・というテーマは、何も最近生まれたトレンドではない。少なくとも半世紀以上前に、先鞭をつけたハーピストがいたのである。
デ・ウェイン・フルトンは、異能である。単なる新しい物好きであるとか、奇を衒(てら)い、新たなテクノロジーになんでも飛びつく実験くんであったら、大衆の耳目は引かない。フルトンは本来クラシックが出自のアメリカ人ハーピストだが、あのカラヤンに腕を見込まれて、彼のタクトの下、オーケストラで演奏していた実力を持つ。その力量は推して知るべし、であろう。そんなフルトンが、1960年代半ばに思い切り大衆路線に舵を切った。当時のデータは曖昧ではあるものの、1970年代に入るまで年一回のペースでアルバムをリリースしてきたのだから、大いに人気を博したことは間違いない。映画音楽、ポップス、ジャズ、カントリー、古謡、なんでもアリである。例えるのなら、同時代にアメリカで活躍したアーサー・フィドラー指揮のボストン・ポップス・オーケストラのハープ版のようなものだ。それがどれだけ影響を与えたかは漠然としているが、全米ではミルドレッド・ディリング以来、最もポピュラーなハーピストであったことは間違いないし、本人もオーケストラの隅っこから、ハープを前に押し出すために、あらゆることを試した人であった。ちなみにエレクトリック・ハープの開祖も、フルトンなのである。
本作は、全盛期の彼をではなく、達観しきった晩年にキャリアの全てを、脈絡一切関係なしに出し切ったアルバムである。節操ないと言う人もいるだろう。否定はしない。だが、こうしたアルバムを聴くと、無性に楽しくなる。腕の立つハーピストが、本気でポピュラーソングに取り組んだら、これだけ人気を得たのだという事実。構えて聴くことがないから、自然と同じアルバムをリピートしてしまうという習慣。音楽家が自分の音楽を一人でも多くの方に聴いてほしいという願望から、リアリストになりきったフルトンの実質ベスト盤といって良い。どこを切っても、知っている曲。耳心地のよいアルバム。キャリア終盤で、さらに肩の力が抜けきった演奏。「おい、おい、このイージーリスニングが名盤なのか?」と訝しがるあなた。一聴してみたらどうだろう。甘い音楽ではあるが、軟弱ではない。確かにイージーリスニングの気配はあるが、どこか芯が通った演奏に気付くかもしれない。活躍当時は世界屈指のハーピストであった男が、クラシック側に振り切ってしまったバイアスを、大衆側へ引きもどしたという点において、フルトンはハープの楽器の可能性を拡げたひとりであることは間違いなく、ハープ史にその名を刻まれるべきだと思うのである。