映画音楽の大家としても知られ、自身はジャズ・ミュージシャンであったミシェル・ルグランは、すでに鬼籍に入ってしまったが、一時期は頻繁に来日しては、小粋なピアノ・トリオで会場を沸かしていた。ルグランの輝かしい業績からすれば、偏屈な芸術家を想像してもけっしておかしくないのだが、実はとても気さくな方だった。ジャズの帝王マイルス・デイヴィスとの親交でも知られ、あの気難しいマイルスが自身の出演した「ディンゴ」という映画のサウンドトラックの制作を一任、互いに若かった頃は「ルグラン・ジャズ」というオーケストラ・ジャズの傑作を共に残してもいる。まさに、猛獣使いといっていい。自分は逗留中のホテルの部屋へインタビューしにいったことがある。恐る恐る部屋に入ると、キーボードを持ち込んで編曲に勤しんでいた。今を思えば、このアルバムのための編曲を彼は取り組んでいたのだ。そんな渦中に部屋へ招かれたわけで、こちらは恐縮しきりだったが、若輩者にもバリアを作ることなく、こちらの質問にも全て答えてくれた。こちらの聞きたいことと、その返しが実に要点を突いており、とにかく話しやすい。マイルスが信頼を置いたのもよく分かる。「これを仕上げないと、ワイフに叱られてしまうから、少し待っていてくれないか」・・・最初は何のことか分からなかったが、後年に本作がリリースされてあの時の意図が分かったのだった。
本作は名盤というより、ある意味、私家版という表現が正しいかもしれない。というのも、これはかつて夫婦であった二人が、音楽的にも結婚し、絶頂にあった頃を収めたドキュメントのようなものだからだ。ルグランの元妻とは、カトリーヌ・ミシェル。フランスのハーピスト/教育家だ。その手腕は轟いており、あのアレクサンダー・ボルダチョフも弟子のひとりだ。二人のプライベートでのなれそめはともかく、ありそうでなかった“二人の音楽家としての接点”の集大成がこのアルバムなのだ。名曲「シェルブールの雨傘」から始まる本作は、ルグランの率いるオーケストラをバックに、ミシェルのハープが、オーケストラの中心にいわばディーヴァのごとく降臨し、夫の輝かしい曲の数々を流麗に謳っている。夫唱婦随、まさに理想形といってよい。ハープが下手なら悪目立ちするだけ。公平にみてハーピストとして素晴らしいからこそルグランは妻をフィーチャーした。普段ならオーケストラの後ろの方に座らされるのが宿命のようになっているハープは、こうした場を意図的に作らない限り、こうした壮大なセットの矢面には立たない。ルグランのオーケストレーションは、適材適所で無駄がない。演奏者の最も良い点とそれに見合うパートを与えることに長けていた。それに自前の曲を演奏するのが主だから、ルグランのタクトでオーケストラが面白いように変化するし、要所要所できちんと心を掴んでくる。普段は互いの仕事現場にはいない、だが日常の生活では最もルグランの身近にいたミシェルが、恐らく音楽的に夫に近づいた最後の瞬間がこのアルバムだったのではないか。ここで夫婦の共演をやり尽くしたというのが、本当のところだろう。同じタイプのジャズマンに、アンドレ・プレヴィンがいたが、彼は晩年にクラシックの名指揮者として名を成した。だから、彼をジャズマンと呼ぶと眉をひそめる方もいるだろうが、出自はジャズピアノである。もしもミシェルの夫がプレヴィンであったなら、クラシックという場に形を変え、こうした共演がその後も幾度か続いただろう。クラシックとジャズ、夫婦の音楽的最大公約数としてこのアルバムを完成させ、成果を挙げた一方で、結果として二人はこの共演を最後に別々の道を往くことになった。何せ、完成前からその片鱗を観たものとしては、強烈に印象に残るアルバムであり、それこそ何度もリピートした。今はルグランに当時の心境を聞く機会もなくなってしまったが、ここで展開される楽曲は、ハープ+オーケストラのレパートリーを提供したという点において、後進に対しては大きな指標になると思えるのだ。願わくば、今後さらにルグランの作品が、ハープで演奏されてゆくことを願う。実際、今や映画音楽が、次代のクラシック作品となってゆくであろうことは、昨今のオーケストラ・プログラムをみると自明の理だろう。本作は、巨匠自らが自作曲をハープ主体のものにアレンジし、畑は違うが、かつて夫婦であったトップ音楽家同士が作ったアルバムとして、本作のキーワードでもある“ありそうでなかった”ことが実現した、実に稀有な作品であることも事実なのである。