音楽は、言葉と大きく結びついている。そんなことを実感させてくれるアルバムがある。「日本の歌」という作品だ。今から20年前に、ウィーン・フィルのライナー・キュッヒルとグザヴィエ・ドゥ・メストレが、デュオで日本の歌を吹き込んだものだ。
同楽団で当時、コンマスを務めていたバイオリン奏者のキュッヒルが、やはり首席ハーピストであった同僚のメストレを指名して作ったものだ。もともと小野崎孝輔のペンによる日本の歌集の編曲を、キュッヒルが絶賛し、「ぜひこれらを録音したい」というところから始まった。小野崎の編曲、「浜辺の歌」「早春賦」「荒城の月」「叱られて」「ペチカ」「赤とんぼ」・・・などは、さすが日本人が日本の歌の特性を知り抜いて書いた編曲ばかりで、いずれも歌=言葉として日本人の心の浸透していった曲を選び、この二重奏に向けて見事な“通訳”を果たしている。歌を支える歌詞の抑揚、ニュアンス、発音など、日本の歌ならではのトーンを活かした出来栄えで、おそらく繊細さと行間に漂う瑞々しさが、キュッヒルを捉えたのだろう。同時に、キュッヒルのバイオリンと共に伴走し、この歌心を小野寺の目論見通りに再現できるパートナーが必要だった。周囲は当然、バイオリンと相性の良いピアノを指名するものばかりだと思っていたが、キュッヒルはハープのメストレを選んだ。「日本の歌の豊かな情感を引き出すには、ピアノよりハープがいい」との理由からだった。本作は、この選択の瞬間に「名盤」になることが運命付けられたといって良い。
確かにハープは竪琴であり、日本の歌を奏でてきた琴とは親戚のようなもので、日本の楽曲を演奏するのに親和性はある。だが、老獪なマエストロで百戦錬磨のキュッヒルが、そこらへんは百も承知で、敢えて若き日のメストレを選んだ慧眼をここでは賞賛したい。当時、売り出し中の若き実力派ハーピストであったメストレが、後年、異国の言葉として世界に存在する名曲を自分なりの編曲や感性で、ハープの楽曲として再生してゆく彼のスタイルは、まさにここに原点があったと言えるのではないか。しかも、録音場所は、ウィーンにあるショッテン修道院が選ばれた。歴史ある建物が醸し出す豊かなリヴァーヴの中で、キュッヒルのバイオリンが艶やかだが抒情感豊かな響きを、メストレが実に繊細な粒立ちを湛えた粒の揃った音で応じ、「日本の歌」が見事に再現された。彼らの母国語ではないのに、音符にその姿を変え、演奏が言霊となって、素直に日本の言葉となって歌われている。むしろ、我々は日本人だからこそここでのニュアンスを堪能できると思う。これは、何気に凄いことだ。言わば設計図を描いた小野崎の功績が大だが、それに共鳴し、日本の楽曲へ敬意を払い編者の意図を理解し、真摯な演奏で応えた二人の演奏家が、このアルバムに魂を封印した意義はとても大きい。本作は今から4年前の最新マスタリングで、SACDハイブリット化されたことで、往時の名演にさらに鮮烈な印象が加わっている。デジタルのマスター音源から、敢えてアナログのマスター音源を生成、それをソースにさらに入念にDSDデータを作るという、途方もない作業で本作は蘇った。聴き手への満足度という観点もさることながら、作り手の意図の反映という立脚点からも成功した目される作品である。