最近アメリカで珍妙な現象が起きている。かつてのLPレコードの再プレスが相次ぎ、結果的にCDの売り上げを上回っているというのだ。レコード盤の復権。時代が動いている。昨今のDJの活躍もあるのだろう。かつては、あれほど邪魔者扱いでお払い箱にされたレコードが、温かみがあるとか、アナログの響きが良いとか、適当な理由を付けられて懐古する動きが出てきているのだ。音楽業界もデジタル化が進み、サブスクも流行したが、結局人の時間の枠組みまでは変えられないのだから、たとえそう多くのセレクションがあっても、物理的に全ての音楽を聴けるわけではないことに我々はやっと気付いた。リスナーたちは当然、自分の好み、今まで触れてこなかった音、やっと探し当てた音楽だけを限定抽出するという、供給側の思惑とは真逆の潮流が生まれている。また、人が心地よいと思う音楽は、何もすべからくノイズレスでクリーンであるべきというのではなく、レコード盤に針を落とすときのブツブツした音なども、好きな音楽を聴くという儀式のなかでは尊ばれる要素なのである。余禄もある。いや、むしろこちらの方が嬉しいと思うのは、惜しくも廃盤になってしまったカタログ、陽の目を浴びずに去ったアーティストの掘り起こしも同時に起こるようになったことだ。林忠男もそんなアーティストの一人だ。
元はジャズ・ピアノだったが、ハープに転向した。当時、ジャズ・ハープの分野では、ドロシー・アシュビーがまだ現役で気を吐いていたが、日本には当然誰もいない。ハープがモダンジャズで展開される未来をいち早く感じ取って、実行に移したのが、林忠男である。本作は、林のハープトリオのデビュー作だ。ジャズの最重要な元素である「スイング」が、ここには満ち溢れているのが特筆すべき点だ。また、ハープの魅力は「グリッサンドに妙あり」とみたのだろう、曲のイントロに結構グリッサンドが使われているのがご愛嬌だ。11曲すべてがスタンダード曲であり、耳心地がよい。トリオ形式で、ハープの輪郭を際立たせる流れを作り、ごきげんにスイングしているのが伝わってくる。これだけの作品なのに、なぜ売れなかったのか。思うに、日本人の喰わず嫌いと権威主義がもう隅々まで伝播しており、「トリオといえばピアノでしょという時代」と、1977年という「モダン・ジャズが衰退し始めていた時期」に、端正なトリオ作品ではあるが、ハープというジャズ界ではマイナーな楽器で制作したわけだから、発売当時からそもそも耳目を引かなかったのだろう。
たぶん、林は機を見るに敏な人だった。ピアニストでありながら、それに劣らぬ魅力をハープに見出し、後に彼はジャズが進化してクロスオーバー(フュージョン)へ移ろいゆく時節を捉え、その手の音楽が流行する兆しがあった東南アジアへいち早く移住してマニラに居を構え、そのエリアでは大人気を博した。琴をモチーフにしたフュージョン・バンド「ヒロシマ」などがブレイクしつつあったし、今ではジャズ・ハープの代名詞的なデボラ・ヘンソン=コナントよりも前に、林は自分のハープ・ジャズを世界に問うた。ところが、まさに成果が上がるというその時に、彼はマニラで客死した。知人に殺害されたという。アルバム最後の曲が、「見果てぬ夢」であったことも、どこか残念でならない。いまNYで注目されているハープ奏者ブランディ―・ヤンガーがドロシー・アシュビーに影響されて作ったという新譜を聴いていると、かつては林が手を染めた世界と一部クロスしており、もし今も彼が存命ならとつい夢想してしまう。野心に溢れ、世界に目を向けた林の時代に先んじたデビュー作だが、長い年月で角が取れ、今は「こういうのでいいんだよ」と思える味わい深い作品として醸成している。