二刀流といえば、昔は剣豪・宮本武蔵のことだったが、今や野球の大谷翔平がその代名詞となっている。意味合いも違ってきており、武蔵のケースは二刀を使いこなす剣の使い手という意味だったが、大谷のケースでは二つの違ったことをやり遂げる凄腕という意味になってきている。ハープの場合、自分はマリア・ルイサ・ラヤン-フォレロに、その意味合いを重ねる。
シカゴのハーピストだが、本作が如実に示すように、振れ幅の大きさに定評がある。本作は、バッハからピアソラまで、彼女が既成の枠をいとも簡単に乗り越え、作品集の中へ平然とバッハやピアソラを並べてしまう感性は、単に彼女の器用さを表すだけではなく、日常的にバッハとピアソラが並列であることの、そこはかとない凄みを感じてしまう。クラシックの世界では、バッハといえば原点にして頂点。アルゼンチン・タンゴといえばピアソラは神のような存在。音楽的言語も違えば、その楽曲の個性もまるで異なる。二人ともそれぞれのファンや研究家が列を成しており、そう簡単に扱える素材ではない。ところがラヤン-フォレロには、そうした気負いがない。「パルティータ」と「リベル・タンゴ」へ、自ら編曲も施している。ここでは、バッハとピアソラを挙げたが、同作ではグランジャニーとヴィラ=ロボスを対比することもできる。全体的にラテンの傾向がやや強いとは思うが、同じアルバム内でこれらのエレメントが彼女に手によって包括され、味わいを損ねることなく、ひとつの個性として打ち出される様は、まさに二刀流という言葉が相応しいように思える。
どうも我々は、ホームランを量産する選手を良い選手と思ったり、左右の隔てない神がかかった剣さばきを凄いと考えたりするが、本当は不変を普遍にし、涼しい顔をして別分野の楽聖のピースを普段着で弾きこなす彼女のような個性も、本当は特筆すべきなのだろう。
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