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編集長インタビュー:マイケル・ルーニー

インタビュー

※この記事はハープライフWEBから転載しています。

縁は異なもの、という。マイケル・ルーニーは、今や最高峰のハーパー(アイルランドで、ハーピストのこと)のひとりとしてアイルランドでは敬愛されるほどの存在だ。しかしながら、彼とハープの出会いは劇的なものではなかった。傍目から観ても、「余人をもって代えがたい」「最高の組み合わせ」と思えるレバーハープとの出会いでも、意外にもマイケル本人はさほどでもないと思っていたりする。
「あれは10歳の頃だ。父が楽器を習うための小銭をくれた。当時の僕はフィドル(ヴァイオリン)、ピアノ、フルートあたりをやってはいたが、ハープなんて論外だった。父がハープをしきりに勧めるので、周囲には黙ってハープを習い始めたのさ。なぜ黙っていたかって?だって、ハープは女の子の楽器だって周りも思っていたし、1985年当時、男の子のハーパーなんて周りには一人もいなかった。自分だって正直、女々しいと言われたくなかったんだよ(笑)」。
かの国では、「赤毛の娘にはハープを習わせろ」という風習があるようで、7歳下の妹が赤毛で、父はどうやらマイケルが将来、妹にハープを教えるのを理想としており、半ば父の策略にはまってハープを始めたようだ。それが今では、国中のハーパーたちが、マイケルのコードワークを真似したり、弾き方を参考にしたりしているという。始めた頃は、周囲に男性奏者は彼一人しかいなかったというレバーハープ、ひいてはケルティック音楽が広まった理由を聞いてみた。
「もとは、アイルランド内だけで広まった音楽で、僕らは基本的には土着の民なんだ。でも、随分昔にポテト飢饉があったころから、アイルランド人は海外へ移住し始めた。彼らが各地で定住し、それぞれの土地の音楽と結びついて、音を奏で始めた。90年代に入って、ミュージカル「リバーダンス」がアメリカで流行したのを皮切りに、チーフタンズのようなワールドワイドにケルティックの魅力を伝えるバンドも出始めた。それらに呼応するように、ハープ人口もぐんと増えていったと思う」。

マイケルの音楽は、ユニークの一言だ。もともと本人も女々しさを嫌っていたこと、周囲に目指すべきアイコンがいなかったこと、そんな偶発的要素が加わって、彼自身がオンリーワンなスタイルを身に着けて、徐々にシーンを牽引してゆくようになったようだ。
「いわゆるグリッサンドのようなキラキラしたものより、僕がやるからには、もっと僕らしい、“だから僕は、この楽器をあえてやっているんだ“と自慢できる演奏を目指した。ダブルベースの力強さを取り入れてみたり、レゲエのタイム感覚を取り入れたり、現代的なアイリッシュの響きを出すため、敢えてアメリカのフォークの神様ボブ・ディランの音楽を取り入れてみたり・・・伝統だけでは、音楽は前進しない。でも、伝統を尊重しないと、僕の国では愛されない。枠組みを壊すことなく、自分の主張、新しい要素を付け加えてゆくのが、どんな音楽にも必要だと思うんだ」。

インタビューでは常に、「どうしたらハープは上達するか」を尋ねている。これに対する答えも、マイケルの場合、とてもユニークだった。要約すれば、「耳を研ぎ澄ませ」とでも言おうか。まさに、これぞアイリッシュ音楽の神髄ともいえるのだが、彼らは譜面を触媒にしない。何せ吟遊詩人の国である。書面に遺さず、その刹那的ともいえる口伝というミディアムを駆使して、音楽を広めてきた。だから、稽古の場でも譜面は使わないのだ。だから譜面台もいらない。教えを請う方は、まずはメンターの演奏を聴き、目で指使いを学び、体で音楽を覚えてゆく。こうした耳から音楽を染み込ませる方法で、マイケル自身も演奏力を高めていった。譜面やテキストを用いるでもなく、こういう古来の習わしがあるにもかかわらず、アイリッシュハープ人気が世界に拡散しつつあることに矛盾が生じないかと思いがちだが、ハープの技は一子相伝ではない。ハープを介して、意思を伝え合う文化でもあるのだ。また意外にも、レッスンには文明の利器、インターネットを駆使しているため、かえって密な空間でレッスンが進み、今度はそれを仲間に伝播し合うという良いサイクルを生むという。つまり、媒体は違っても、オ・カロランの時代から口伝文化の伝統継承を継続することで、音楽への集中力が高まり、耳を研ぎ澄ます習慣が演奏の向上にも繋がっているわけだ。聞いてはいたが、実際のレッスン風景を目の当たりにすると、その光景は実に新鮮だった。

最後に、今回が初来日だったマイケルに、意外なきっかけで出会ったハープだったが、やっていて良かったことは何だと尋ねたら、「ハープのお陰で、こうして家族と共に日本を始め世界中で演奏して音楽を広めることができる。これは幸せなことだよ」と語った。そこに、アイリッシュハープの革新者と目される彼の中にも、吟遊詩人の血が脈々と流れていることを垣間見たような気がした。

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