ハープを弾く皆さんであればご存知のことと思いますが、あれだけハーピストに人気のクロード・ドビュッシーでありながら、本人はハープに関して、独奏曲は1曲も遺してません。ただ協奏曲では起用しているほか、オーケストラで演じられる曲「海」等でもハープが登場しますし、「ビリティスの歌」では2台も登用するなど、控え目にみてもかなりのハープ好きであるにも関わらずです。
諸説あるかとは思いますが、恐らくこれはドビュッシー存命当時のハープの楽器性能が、ドビュッシーの感性を満たすまでには追い付いていなかったことに尽きると考えられます。今では、ピアノでできることは理論上ハープでも・・・という時代になってはいますが、当時の印象派全盛の頃、フランスではやっとエラール社製のハープが勃興し始めた時期で、今日のペダルハープまでの精度はなく、あのドビュッシーをもってしても、ハープでソロを弾くことなどおよそ想定できない状況・・つまり楽器として、単にできることの範囲が今よりかなり限られていたのではないでしょうか。そうであれば、彼が生涯の作曲や演奏で局地的にはハープの音色を愛でて、起用もしながら、ハープのためのソロ曲やハープが主体の協奏曲等の作曲には手を付けなかったことにも合点が行きます。そんな歴史上のほんの誤差程度のタイムラグが、後世にドビュッシーのピアノ曲をハープ用に編曲するという作業を生み、きっと作曲した本人も天国で驚いているぐらい、素晴らしいハープ・レパートリーになっている昨今の状況を形成するに至ったというのは、想像に難くありません。
まさに、クラシック音楽の概念を拡げたが、ハープの性能向上には間に合わなかったドビュッシーの足跡をフォローするかのごとく、ハープによる名著改題に精励してきたのが、現代のハープの匠たちです。とりわけグザヴィエ・ドゥ・メストレにとって、本人がかつてインタビューで語っていたように、「楽譜に関してはレガシーに欠けるハープにおいて、仕事の半分は編曲のようなもの」であり、彼は歴史は長いが第一線の楽器とは言い難いハープへ、再びスポットライトを浴びせた功労者の一人です。フランス生まれの彼が、同郷の英雄について黙っているわけがなく、ハープ版ドビュッシーの決定盤としてリリースしたのが、「エトワールの夜~プレイズ・ドビュッシー」です。自身のキャリアの高みに到る時にドビュッシーをもってきたことで、メストレがいかにドビュッシーの音楽を信奉・敬愛し、ドビュッシーの音楽がいかに懐が深いか、そしてハープがいかに可能性に満ちた楽器であるかを雄弁に物語っています。本作ではハープの織り成す音のゆりかごに、まるで体全体が包み込まれるような想いを体験できるでしょう。
エトワールの夜~プレイズ・ドビュッシー / グザヴィエ・ドゥ・メストレ