可能性という言葉は、何かをやろうとするとき、最初からできない前提あるいは未知の領域へ踏みこんで、指標を達成する課程を経て、時折便利に使われる言葉だ。だがそもそも、可能性という言葉が変に言霊になって、かえって領域を狭めていることもあって、功罪相半ばする言葉だと思っている。
スポーツにしても音楽にしても、最近はアジア人の活躍がそれなりに目立つようになってきたけれど、たとえばハープの世界で未だ払拭できていないのが、「欧米に比べてアジア人は体が小さいから、敵わない」というものだ。しかし、時代の寵児アレクサンダー・ボルダチョフは、実のところ170cm未満だ。女性でいえば、差し詰めダン・ユーかもしれない。小柄な彼女が背格好を理由に、ハープの不出来を悩んでいるかといえば、無論そんなことはない。生でサルツェードを手繰るシーンを垣間見たが、ハンデなどは一切感じなかった。アジア屈指の女性ハーピストであり、いま絶好調の香港ハープ界で、ダン・ユーのフィルターを通らないハーピストはいないとも云われる名伯楽でもある。二人に共通しているのは、可能性という言葉に惑わされることなく、黙々と練習し、結果に言い訳しないところがよく似ている。確信をもって弾いているといえば、良いだろうか。
このアルバムで、中盤あたりが最も情緒をくすぐる感興がある。「ヴェニスの謝肉祭」から、タイユフェールのソナタ、ダマーズのシシリエンヌまでのくだりである。演奏上手に感心するといよりは、音楽をよく知っているなあという印象を受けるのである。定番曲を敢えて脇へ置きながら、自分の思う美を躊躇なく押し出してくる。果敢という言葉がよく合う。単に評価を得ようとするなら、あまり知られていない佳曲を敢えて選ぶ必要はない。ここでの彼女は、まさに可能性を拡げる行動に出ているのだ。ありきたりのハープ弾きではなく、ハープを弾く音楽家であろうとするアスペクトが彼女にはあるのではないか。たぶん、曲目をみて食指が伸びないという向きもあるかと思う。しかし、これこそ掘り出し物のアルバムであり、同じ背格好の日本人なら大いに参考にすべき知恵と工夫が詰まっている。