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編集長インタビュー:ファビウス・コンスタブル

インタビュー

※この記事はハープライフWEBから転載しています。

ファビウス・コンスタブルを知らないあなたに、このイタリア人ケルティック・ハープ奏者の稀有な魅力について少し語りたい。日本で一躍彼の名前が轟いたのは、東日本大震災のときだった。未曽有の災害で全てを失った人々は、避難所や学校などで鬱屈たる時を過ごしていた。そこへレバーハープを持った男が現れ、ハープで音楽を語りだした。それが何であったかというより、その調べは人々が再起するには十分な心の栄養になって心に残った。後の調べで、国内外あわせて彼こそが初めて被災地へ足を踏み入れたプロの音楽家だったことが判った。無論、彼は何らの見返りも要求しなかったし、彼の行動に感銘を受けた地方記者が報じなければ、その存在も知られることはなかったかもしれない。毎年のように日本へ帰ってきては、ハープの魅力を少しずつ伝えて来た彼は、ある意味、日本人より義理堅いと評されるまでになった。

そんなファビウスがコロナ禍がある程度落ち着いたことで、この秋、久しぶりに再来日を果たした。被災地には単独で足を踏み入れた彼だが、一方ライフワークとしてレバーハープが中心となって構成される自身のケルティックハープ・オーケストラを統率している。同オケがなんと20周年を迎えたということで、楽曲をUSBに収めるという新方式のアルバム(写真下)をリリース。来年の春に日本でアンサンブルのコンサートを計画中の彼に、今回アンサンブルの話を中心に話を聴くことができた。

ー久しぶりの来日ですね。ご無沙汰してしまった理由は、間違いなくコロナ禍だったと思いますが、あなたにとってコロナはどういうものでしたか。

ファビウス:まずは病に倒れてしまった方々にはお悔みを申し上げますが、音楽家にとっては、改めて音楽に向き合う機会となったのではないでしょうか。音楽は自発的なものであり、心から湧き出る感情は病でも奪えないこと。また苦しいときには最良の癒しや悦びになることを、私たちは身をもって知ることになった。私も細心の注意を払いながら、自身やオーケストラの活動を続けてきました。

ー今回、20周年というオーケストラでの活動維持ですが、色々ソーシャル・ディスタンスが取り沙汰されて大変だったのではないですか?

ファビウス:こういう時節だからこそ、絆が深まるのです。音楽は、コミュニケーションの手段でもあります。たとえ会話が禁じられても、音楽そのものにマスクは要りませんからね。

ー多少意地悪な質問になりますが、大勢で演奏すると、当然メンバー各自で演奏の上手・下手があるし、まとめるのは結構大変なのでは?

ファビウス:それを埋めるのは、編曲であり、共に演奏する相手をよく知ることに尽きるのかなと思います。我々が自分自身であることを演奏を通じて表現するとき、音楽に合わせて自分の性格を変えるでしょうか。普段気のおけない仲間たちとの会話では、得意としない、関心のない分野は話さないし、誰かが口下手だからその人とは話さないということはありません。サブジェクト(音楽)が合わないなら、話題を変えればいい。編曲はそのためにはとても大切で、各自の技量や性格なども勘案しながら、共に音楽を創る基礎になるものです。無論、音楽を構成する段階で、各自が自浄努力・切磋琢磨する場面も必要ですが、ひとつの音楽を皆で共有し、共に創造してゆく悦びを味わうことこそ、アンサンブルの醍醐味だと思います。

20年と一口に言うが、並大抵のことでは、一つの集団をこれだけの期間まとめ上げることは難しい。本人の前では云わなかったが、おそらくファビウス自身の包容力もオーケストラ維持の一因であることは間違いない。友を想う律儀さと言えばよいだろうか。津波にさらわれた街で、絶望の淵にある人へ、掛ける言葉の代わりにハープを弾く。ひとつのフレーズでつまずく友に、一緒に寄り添って練習する。そのどちらも自然体でできてしまう男だからこそ、人の輪ができる。小型ハープの魅力が徐々に増している昨今、「持ち寄れるハープのニーズ」が高まり、アンサンブルの機会も同時に増えてくるのではないだろうか。そんな際、ファビウス・コンスタブルの音楽は大いに参考になるに違いない。今後ますます彼の音楽に期待しようではないか。

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