どんな栄光でも、必ずや後進に譲る瞬間がくる。ハープの帝王メストレにも、いつかその日は容赦なくやってくる。だが、メストレの場合、日々の精進、体調管理、ハープ界への貢献という点で、いまも衰えを知らず、当面その玉座を簡単には明け渡さないだろう。そんな彼が、継承を意識したかのような機会をもったことがあった。それが、本作の吹込みである。
協奏曲の演じ合いと共演という、指名されたエマニュエル・セイソンも、またとないチャンスとばかりに、少々背伸びした演奏が展開している。録音は、今からもう20年近く前になるため、無論当時とは状況はまるで違っている。だが、このレコーディングにメストレから指名された時点で、セイソンはメストレから一目置かれていたのだともいえる。メストレが、ハイネッケの「ハープ協奏曲ホ短調」。メストレが、ツァーベルの「ハープ協奏曲ハ短調」。このソロ合戦においては、力量の差は思ったほどには感じないものの、メストレにあってセイソンにないものは、「余裕」であることが判る。自らのペースと独特の磁場を構築するメストレと、曲の解釈をいかに精緻に再現するかに留まっているように聞こえるセイソンとでは、やはりメストレに軍配が上がるだろう。一方、パトリッシュ=アルヴァースの「2台のハープのための協奏曲」という、奏者の技量や解釈に圧倒的な差異があると成立しない楽曲では、実にスムーズでエスプリすら漂わせる佇まいを残し、見事な成果を残している。もちろん、ここでメストレがセイソンを後継指名したわけでも、何かを禅譲したわけでもないのだが、ここでは確かに継承はあった。セイソンにしてみれば、メストレとの共演は光栄の至りであると同時に、当時はまだ雲の上の存在であったメストレの懐に飛び込んで味わった青春の蹉跌でもあったことだろう。セイソンは今、文字通りの王道を歩んでいる。ハープ王国のひとつフランスの王子として、文句ない活躍とキャリアを積んでいる。本作は、セイソンの青の時代とメストレの中興期の歯車が実に良いタイミングで噛み合った佳作だといえる。