先日、ニュースでお伝えしたように、エリザベス・ハイネンが新たなポストを得た。US国際ハープ・コンクールの芸術監督に就任したのである。かのスーザン・マクドナルド王国がハイネンに禅譲されたのは、意外だという声も上がったようだ。そして彼女のサポートに、エマニュエル・セイソンが就いたのも驚きであった。本作は、そのハイネンの目下のところの最新ソロ小品集であり、そこから推し量れる事情も見えてきたので紐解いてみよう。
意外という声が上がったのは、恐らく他にも著名なソリストはたくさんいるし、何よりもマクドナルド女史の門下なら、後継は世界中にいくらでもいたはずだからだ。ハイネンの名誉のためにいうが、知ってのとおり、彼女自身もトップ・ハーピストの一人だ。彼女は、フィラデルフィアンである。すでに、20年以上にわたってフィラデルフィア管弦楽団の首席ハープを務めている。そして、フィラデルフィアといえば、高名なカーティス音楽院である。無論、ハイネンはそこでも長年教鞭を執っているし、彼女の名を冠したハープのサマー・キャンプも恒例だ。それらと、このソロ集とどこが関係あるのかと言えば、彼女らしさの反映が全編に溢れているからだ。
端的にいえば、彼女の演奏には隙がない。悪く言えば、ワル乗りがない。トヨタの車みたいだ。全てにおいて平均値が高い。保守的なのかと思えば、ハープ用に編曲されたスティングの曲や、中国の伝承曲「春江花月夜」なども演奏する。一方、「亜麻色の髪の乙女」「月の光」あたりのお約束も押さえている。グランジャニーは定番をやや外して、最近人気の「ザ・コロラド・トレイル」を採用。そして、オーケストラでの長年における研鑽の産物と思えるのは、ヘンデルやクープラン、ラモー、J.S.バッハといった作曲家の曲を採用しているところだ。つまり、総合力が高いのである。それがまさに反映されたソロ・アルバムなのだ。たぶん、先述した彼女の重責への就任は、極端に個性的であるとは言い難いが、演奏はかなりレベルが高い。オケピの後ろからずっと多種の音楽を見つめてきて、それによって培った音楽力や後進への技術指導力、コンサートや録音の時間と教育にかける情熱を絶妙に振り分けるバランス感覚、そしてフィラデルフィアを城下町化している政治力などが、かのマクドナルド女史が有した資質に望外似ていたのかも知れない。そして、芸術家肌のセイソンが副官として就いたが、これまた絶妙の組み合わせだ。安心感をもってアルバムを聴き通せるというのは、けっして「安全運転している」からではなく、高い技術と聴き手に寄り添うセンスがなければ成し得ないという根本を、我々は忘れてはならない。