ハープにおいて、フランス近代の人気は絶大なものがあるが、これは何も天才が数束集まったから築けた黄金期なのではなくて、実は「教育」にこそ秘密があったと思っている。ベースになったのが、国立パリ高等音楽院だ。アッセルマンという傑物がいた。ボクサの校訂譜を作り、別楽器の譜面をハープ用にアレンジし、急逝するまで同校でハープの教鞭を執り続け、20世紀の重要なハーピストとなる高弟を多く輩出した。ル二エ、トゥルニエ、サルツェード、グランジャニー、ラスキーヌ、ジャメと、まさに錚々たるメンバーだ。手早くいえば、彼らが丸ごと20世紀のハープ史の中核と言っても差し支えなく、アッセルマンの貢献度がいかに高かったが窺い知れる。だが67歳で他界してしまい、実は危ぶまれたのが、誰が彼の後任としてパリ音楽院でハープの教鞭を執るかという問題だった。アッセルマンの代表作「泉」が、実は演奏会用練習曲であるように、当時のハープは花形のソロ楽器を目指したわけでもなく、少しでも粒よりのハーピストを多く輩出し、ハープの演奏機会を増やすための教育や人材育成、奏法研究の整備の方が急務であった。要するに当代の人気作曲家たちに、ハープをモチーフにした曲を多く書いてもらうことが、演奏会などで後々の収入にたから直結したからだ。故にそのイロハを整備したアッセルマンの手腕はとてつもなく凄かったわけだ。彼の後釜に座ったのは、弟子のひとりマルセル・トゥルニエだった。
正直、トゥルニエは師の教えに忠実な実務型だったものの、あのアッセルマンの後だと、恐らく当時の学生としては、少々物足りなく感じたかも知れない。だが結果的にその人選は最適で、彼の弟子はフランス以外のヨーロッパ、アメリカ、そして雨野氏を通じて日本まで広がった。師匠がやり残した技巧の整備、さらに和声の可能性を引き上げて、いくつものハープ・ソロ曲を仕上げた。彼の時代になると、録音技術が急速に高まったことで、技術の伝達も容易になり、まるで砂漠が水を吸うかのように、彼の楽曲やメソッドは弟子を通じて急速に吸収されていった。トゥルニエ作品が、今もコンクール課題曲に多く取り上げられる背景も、派手な演奏用ではなく、師匠譲りの技術向上を意図して作られた曲の多いこともあるだろう。それらが取りも直さずそのままハープの美しさへと転写され、フランス近代躍動の大きなエンジンとなったのだ。
まるで三代記になってしまったが、本作のフォンタン=ビノシュこそが、今度はトゥルニエの遺志を継ぐ者として名乗りを上げたのだと言えるだろう。無論、トゥルニエ門下の高弟であり、イスラエル国際コンクールでフランス人初の入賞を果たし、その後は演奏+教育をバランスよく続け今日に至る。多くの門下も育ち、演奏会も世界各国で経験した。地道といってよい、フランス各地の音楽院での教師生活で、ひたすらトゥルニエの教えを伝播し続けており、このアルバムは彼女にしてみればひょっとしたら教則CDの感覚に近いかもしれない。師匠トゥルニエのすばらしさを残したというよりは、有りのままをまとめ上げた感じである。トゥルニエを生で聴けない我々にしてみれば、彼女を通じて、フランス近代の凄みを聴いている感覚。音楽にもいろいろな発信がある。フランスには、メストレやセイソンのように王道を往く圧倒的パフォーマンスを通じて音楽を伝える者もいれば、このフォンタン=ビノシュのようにフランス伝統の継承者あるいは教育者を自認して、自分が偉大な先人に学んだことを率先して後世に伝えようとする者もいる。その両輪がしっかりフランスらしさをグリップしているから、フランス近代は強いのだろう。フォンタン=ビノシュがまるで陰の存在のように書いてしまったけれども、表現者としての彼女はフェミニンな感性を師匠の音楽に上塗りし、近代から現代への装飾を施したユニークなハープ音楽に仕立てている。少なくともこれだけは言えるのは、いまトゥルニエ原理主義者も、フランス愛好家も、誰もが納得のいくトゥルニエ・ハープ大全は、このアルバムで聴くことができるということである。
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