20世紀のハープは、「フランスの時代」だったと言える。理由は、傑出したハーピストたちが自ら作曲を行い、レパートリーを増やしたこと。楽器本体にイノベーションしたこと。そしてパリのコンセルヴァトワールを中心に、ハープの専科を設え、その教えを幅広く伝播させたことだ。翻って、21世紀少なくともここ数年前まではグローバルという概念が広まって、アメリカ、ドイツ、イタリア、オランダ、ロシア、そしてアジア諸国にも、優秀な奏者や指導者も出てきたが、未だフランスがその主流を占めているのは、奏者たちがこぞって近代フランスの完成度の高いハープ楽曲に憧れ、弾きたがることからも明らかだ。
さて、名盤というと古い、大家による吹込みというイメージがあるが、今回は「フランスハープ・クラシック曲選/エマニュエル・セイソン」を書き留めておきたい。彼のデビューした頃の記録である。フランスは20世紀の最後のほうで、グザヴィエ・ドゥ・メストレという巨人を輩出、セイソンは同じフランス出身で、「主流」を繋いでくれる次代のハープ・アイコンとして嘱望されている。思うに、主流であるための条件とは、古典は言うに及ばず幅広い音楽への造詣があること、卓越した技術があること、そして「フランスらしさ」という付加価値である。一番曖昧なのは、「フランスらしさ」だが、これは受けてきた音楽教育、文化的遺産の消化、好んで演奏する曲などが、漫然一体となって滲み出てくるものだ。本作には、セイソンが最もその位置に近づいた男としての記録があるといって良い。フォーレ「即興曲」「塔の中の王妃」といった選曲、トゥルニエへの思慕、ル二エやグランジャニーなどを、自家薬籠中のものとして弾く頼もしさと若いがゆえの根拠なき自信にあふれている。「これらが、フランスのハープ伝統曲なのだ。現状、メストレを除けば私が伝承者としてふさわしい」という、問わず語りの本音が本作にはある。最近は、オーケストラとの競演、コンセプト・アルバムの制作、技術の向上、サルツェードへの傾倒と、本作以降ますますビルドアップした姿を見せているが、セイソンのスケルトンの部分はこの作品に詰まっていると思っている。ファンの耳も正直だ。爆発的ではないが、今ではロングセラー的な位置付けを確保しつつある。隠せない若さゆえの素の部分が、意外にもきちんとしており、年齢に似合わない静謐(せいひつ)さと安心感のようなものを、アルバムから感じ取るからではないだろうか。
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